2013年12月14日土曜日

七不思議語録

「台風と修子さんにはかなわない」 堀野

「それでも、酔っ払いはなんとか帰り着くもの・・・」 茂子

「お靴が可愛い!」 修子


 

 
 


 

2013年12月1日日曜日

富士高祭 P-23,24,25、背表紙


  
 

  懐かしのモンモランシーです。

 でも、高いので、1,2回しか行ったことが無かったです。今はもうありません。
 
 


 さぬきうどんは、よく行きました。今もあります。

 北青山に富士高校の学生服、オーバーの指定店があったなんて初めて知りました。そこで、買った人はいるのかな~?



  
 このパンとお菓子の店の清水屋は中野行きのバス停の前のパン屋ですね。

部活の帰りによく、牛乳とパンを買って食べていました。

その横に森永乳業があったのですが、今は両方ともありません。




  この地図、やっぱり、私の字です。

 
 
そしてこの上からみた校舎の図も、私の字です。
 
クラスの編集委員に言われたのかもしれない。
 
「堀野君は、全く、全然協力してくれないのね。何か出来ることはあるでしょう?自分で見つけてよ。そういうのは、自分から言わなきゃダメよ。」
 
「・・・、じゃあ、裏表紙っての書くわ・・・・・」
 
「あっ、それなら、地図も書いてよね!いい?」
 
「・・・・、えっ・・・うん、解った」
 
 昔から強い口調の女子には抵抗できません。
 
 
 

2013年11月30日土曜日

富士高祭 P-20,21,22



 
  後夜祭はフォークダンスでマイム、マイム等々・・・

 確か出なかったような気がする。
 
 

 ここまでが中身で以下は宣伝です。

 修子さんによると近隣のお店を回って宣伝料をいただく、営業活動を編集委員がしたのだそうです。でも、編集委員に修子さんいませんよ。


2013年11月29日金曜日

写真が消滅

どうしたんだろう?
貼り付けた写真が消滅した。
また張ればいいけど・・・

とりあえず、写真は少しづつ復活します。

2013年11月25日月曜日

富士高祭 Pー15,16,17,18,19

 
カエルさん、山岳部ありましたよ。
 



 出た、新聞部!!



 この奇々怪々映画社って見覚えがあります。


 
ポエムってあの喫茶店の事だろうか?
 
 




 


  まだ、続きます。

 全部で25ページ&裏表表紙です。

富士高祭 Pー12,13,14


2年は、2E,2F,2G,2H,2Iが出店していますが、他のクラスは出なかったのだろうか?
クラス名ではない名前で登録したのだろうか・・・

 
⇒ よく見たら、前のP-11に他のクラスもありました。


 










富士高祭 Pー9,10,11

 
 高校二年生の時には自分は何組だったか、覚えていますか?

先日の飲み会では誰も自分が何組だったか、はっきり覚えていませんでしたね。
という私も覚えていませんが・・・、新井さんと藤田さんと同じクラスだったはずです。
 
 












2013年11月24日日曜日

富士高祭 Pー6,7,8





 
 
 
 
 




富士高祭 Pー3,4,5


体育祭  
 

 
 

 ラグビー部は杉並高校と対戦。確か勝ったはず。

 サッカー部は西高と対戦。

 中庭のフォークダンスって・・・・4時間踊るのだろうか?






富士高祭 表紙 Pー0、1,2










 






1971年 富士高祭

 家に1971年の富士高校の学園祭のプログラムがありました。我々が高校二年生の時の学園祭です。
 
  一枚ずつスキャンして貼り付けます。修子が編集委員をやったそうです。
 
 
 
 よく見ると裏表紙の上から校舎を見た図の字と高校の地図の字は私の字のような気がします。私が作成したのだろうか?更に不思議なのはこのプログラムは2冊家にあるのです。
 
 
 
堀野が書いたと思う裏表紙の字と地図
 
この「2」の字や「テニスコート」「駐車場」の字は私の字です。
 
 


この「中野車庫」や「地下鉄富士見町駅」の字は私の字です。
 
プログラムのこの部分だけ手伝ったのだろうか?
協力したから二冊くれたのかもしれません。
 
このころは、編集委員の修子さんとはまったく喋ったこともありません。

          
             

2013/11/23 久しぶりの飲み会@新宿西口

 


2013/11/23 新宿西口 香屋にて

  
 東日本大震災以降、あれこれ皆さん忙しいようで、集まれませんでした。久しぶりに、集まれる人だけ集まりました。

 堀野、清水、修子、敏子、茂子の皆さんです。老化すると指遊びが出来なくなるからその防止という運動や、修子さんが小学校以来やっているという、月日から曜日を指の関節で調べる方法とか・・訳の分から無い話で盛り上がりました。

 

 最初に修子さんが抜け、二次会はちょっと狭い居酒屋でした。そして終電が終わりそうなので、敏子さん&堀野は離脱しました。

 堀野が持って行った1971年の文化祭のプログラムの冊子をみて、わいわい、あははと楽しく時間が過ぎました。後でプログラムはスキャンしてアップしますね。


 今度は、あまり間を空けないで会いましょう。 







 
呆け防止に指の運動がいいそうです。茂子さんはバリで友成さんの行きつけの店で仕込んできた指遊びを披露。ちょっと難しい~。
 
 修子さんは、小学校から続けている指の関節を使い月日から曜日をあてる方法を講習しました。
 でも、最後まで粘ったビンコさんも難しすぎてギブアップ。他の人は講習スタート直後で降参しました。